大岡越前と遠山金四郎

大岡越前と遠山金四郎

時代劇にこんな一コマがあります。遠山金四郎がトップを務める北町奉行所は南町の悪口をいい、大岡越前をトップに仰ぐ南町奉行所は北町の悪口を言っているというシーンです。このシーンを見るとあることに気づくでしょう。遠山金四郎と大岡越前はどちらが有能だったのでしょうか?

これは残念ながら比べようがありません。実際には遠山金四郎と大岡越前は生きた時代が違うからです。

遠山金四郎は1840年に48歳で北町奉行となった人物で、江戸後期の人物です。水野忠邦の天保の改革に際して、芝居小屋廃止を食いとめる等、庶民の味方を貫いた人物です。遠山の金さんとして親しまれ、「この桜吹雪が目に入らぬか!」の入れ墨も時代劇ほど派手ではないものの、実際に入っていたようです。

大岡越前は1717年、41歳で南町奉行となった人物で、歴代奉行のなかで最も有能だった人物とされます。そして遠山金四郎は大岡越前以来の名奉行と呼ばれています。評価だけで言うなら大岡越前の方に軍配が上がりそうですが、くらべようもありません。