江戸時代に作られた寛永通宝は昭和まで使えた
寛永通宝は、寛永13年に生まれた貨幣で、1文銭と4文銭がありました。江戸時代広く流通し、幕末に鋳造を終えるまでに300〜400億枚が発行されたと言われています。
明治以降には発行はストップしましたが、まだ使えました。明治四年に新貨条例が施行され、円・銭・厘の通貨体制になると、寛永通宝は1厘の代わりに使う事が出来たのです。明治政府は1厘貨幣をあまり作らなかったため、寛永通宝がもっぱら使われていました。
寛永通宝は昭和28年まで使われ続けました。昭和28年になると小額通貨整理法が施行されたため、1円未満の通過は使う事が出来なくなったため、1厘貨幣の代わりであった寛永通宝も使う事が出来なくなりました。